記憶は脳以外に記録される?記憶の神秘

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6月22日放送のフジテレビ”なんだこりゃミステリー”で、臓器提供された患者にドナーの記憶が移るという現象を特集していました。
スタジオでは「不思議~」という声も上がっていましたが、京極堂の小説を読んだことがある人には何の不思議もない話だったのではないでしょうか。

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心臓移植で臓器提供者の記憶が移った男性!?

“体重が100kg以上あった男性が心臓発作に襲われた。心臓移植により一命を取り留めたものの、その手術以降、まるで別人に変わったという。
それまで彼は仕事に追われ、運動などほとんどしない人間だったが、トライアスロンの大会でメダルを獲得するほどのアスリートに変わった。
彼に一体何が起こったのか…直撃取材をすると、彼に移植された心臓は、ハリウッドで活躍するスタントマンの心臓であることがわかった。もしや、心臓移植とともに、記憶までもが転移したというのか?”

という内容でした。またほかの例では、

夫婦でドライブ中に交通事故にあい、脳死状態になった夫。ドナーとして、心臓を提供。
3年後、夫の心臓を移植した青年と会うことに。
青年は心臓移植後、食べ物や音楽の好みや、性格が変わっていた。

また、残された妻が夫の心臓が移植された青年の胸に手を触れると、青年の口から出た言葉は、

亡くなった夫と、妻しか知らない、仲直りするときの合言葉でした。
心臓を通じて引き継がれた夫からのメッセージだったのか?

という出来事があったようです。

京極堂の見解・・・

京極堂とは、京極夏彦の推理小説「京極堂シリーズ」の探偵役”中禅寺秋彦”の通り名である。
中禅寺の営む古書店の屋号「京極堂」に因んでそう呼ばれている。

シリーズ第1弾の『姑獲鳥の夏』の中で、彼と彼の妹”中禅寺敦子”、そしてシリーズのワトスン役であり、主人公の”関口巽(せきぐち たつみ)”の3人の会話の中に興味深い話がある。抜粋するとこうだ。

「時間の経過自体が、物質の時間的な質量である。宇宙に存在する凡ての物質には物質的記憶がある」

「命とは活性化した物質的記憶であり、命の正体が記憶そのものである」

「霊、つまり物質的記憶の集合が命で、それが心の正体である。手や足や内臓に至るまで、命すなわち心がある」

「脳というのは記憶の蔵ではなく、記憶の再生や編集を行うところである」

以上のようなことが京極堂の見解として語られている。

京極堂 曰く「この世には不思議なことなど何もない」

脳のどの部分がどんな働きをするか、またどこに記憶されているかなど解明されていることも多い。しかし、脳のその部分に記憶されているのではなく、記憶されていると思われている部分は実は全身に蓄えられた記憶と、意識を繋ぐ通訳者だとしたらどうだろう。

ほとんどの場合、そもそも他人の体なので肉体的に機能はしても、その記憶を引き出すには通訳者がその言葉が分からず、記憶がつながることはない。
たまたまその通訳者の知る言語と同じか、近い言語で意味が通じたとき、その人の意識に記憶が入り込むのではないか。

そう考えると心臓移植や、その他の移植で趣味や性格が変わったり、覚えのない記憶がよみがえったりするのも理解できる。

京極堂の口癖「この世には不思議なことなど何もない」というのもうなずけるのである。

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